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日本におけるロケット開発の歴史

ペンシルロケットからイプシロンまで日本におけるロケット開発の歴史。

1952年。「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる糸川英夫教授を中心とした東京大学生産技術研究所(東大生研)が発足。
この東大生研から発足したAVSAがニトログリセリンとニトロセルロースなどを燃料としたペンシルを秋田県の道川海岸で打ち上げ。高度は600mまで達した。
1955年に初めて打ち上げた2段式ロケットではは高度60,00mを記録。
日本におけるロケット開発が幕を開けた。

1958年。AVASがIGY(国際地球観測年)に参加。不均質系推進薬で微粒子と炭化水素系ポリマーの推進薬であるコンポジット推進薬を用いた2段式ロケット「カッパ6型」を開発。地球を観測するための最低高度100Kmには届かなかったが高度60kmまで到達することに成功。

1963年。政府がNASDAの前進となる航空宇宙技術研究所(NAL)を科学技術庁内に設立。次年、誘導装置付きの液体ロケットLS-A開発に着手。また宇宙航空研究所が鹿児島県の内之浦から打ち上げたラムダ3型ロケットでは1000kmの高度まで到達。

1968年。新しいロケット打ち上げ場所に襟裳岬、下北半島から八丈島、奄美諸島を検討。最終的に鹿児島県の種子島が決定する。

1969年。後のJAXAとなる宇宙開発事業団(NASDA)が発足。1970年。ラムダ4型5号機が日本最初の人工衛星となる「おおすみ」を打ち上げ成功させる。1970年。本格的に宇宙開発する為に開発されたミューロケットM-4S1号を打ち上げ。

1975年。9月9日、アメリカのデルタロケットの技術を基にNASDAと三菱重工が開発し3段式N-I ロケット1号機打ち上げ。1977年には静止衛星「きく2号」を打ち上げ成功。世界で3番目の静止衛星打ち上げ成功国となる。

1986年。米国のデルタロケット技術を一部ブラックボックス化して作られたH-1ロケット試験機1号が上げに成功。日本のロケット技術が世界に追いついたされる打ち上げである。

1994年。第1段用液体燃料エンジンとして開発が進められていたLE-7の開発に成功。これによりH-2ロケットを初めて打ち上げることが可能となった。

2010年。低コストで打ち上げが可能なイプシロンロケットを開発開始。打ち上げは2013年予定。
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